【新・中立プロジェクト】総論/全体感を見せることの大切さ

みなさまこんにちは、まりもです。

突然ですが、皆さんお仕事でテキストやマニュアルを用意されることはありますか?
生徒さんに使ってもらうテキストを作る、スタジオ運営のためのマニュアルを作る・・・そんなシーンが少なからずあるのではないでしょうか?

なんのためのテキスト/マニュアルで、これを読む/学ぶことで何ができるようになるのか、という「総論」をしっかりと組み立ててあると、「各論」は驚くほどすんなり理解されるもの。
ですが、この「総論」に簡単にしか触れずに各論に入っていくテキスト/マニュアルというのは実は世の中にとてもたくさんあるのです。

「中立」も、同じように総論について簡単に触れたあとすぐ各論に入っていく、という構成になっていました。

テキストをつくる人は各論から作りたい

多くのテキストが、総論の整理を簡単に済ませてしまうのにはシンプルな理由があります。

そのテキストをつくる人にとって、総論はもうわかりきったこと/当たり前で発見のないことだからです。

中立の理論でお話をすると、

  • 「中立」とはなにか
  • なぜ中立という理論にたどり着いたか
  • 何を重要視しているのか
  • これから何をどんな順番で学ぶのか
  • 学んだものをどんなふうに使うことができるのか etc…

こういった部分は、テキストを作る側にとって、自分の中ではあまりに明らかで説明するまでもないことになってしまっているのです。
だから、各論(=理論の具体的な中身)を早々に伝え始めてしまうのです。

私自身が最初にRYT200で中立を学んだとき、一番つらかったのがDAY1~DAY2あたりです。
なぜ今自分が足の骨の名前を見ているのか、これが最終的にどう使える知識になるのか、全くわからないままどんどん講座の内容が進んでいき、毎時間学んだ知識同士が紐づかないで点在しているような状態でした。
当時ももちろん「中立とはなにか」といった総論はDAY1で説明されていたのですが、テキストでは「用語解説」として触れられているのみ。
その重要性や、最終的に理解できるようになることが全くわからないままに、各論の知識のみを吸収しようとしてしまったのです

DAY3あたりでやっと全体感が見えはじめて面白くなってきたのを覚えています。

学ぶ側は全体感を先に知れないととっても不安

上述した私の体験のように、学ぶ側は総論/全体感を知れないと、真っ暗闇を手探りで歩くような体験をすることになります。
総論/全体感こそが、学ぶ人にとっての道標となるものなのです。

それを踏まえ、今回の中立リニューアルでは総論/全体感の整理・言語化にかなりしっかりと時間を使いました。

「用語解説」とまとめられてしまっていたものを、一度まっさらな状態に戻し導入のストーリーとして、

  • アライメントとはなにか
  • 中立とはなにか
  • 中立を構成しているものはなにか

といった内容についてまず時間をかけて説明し、具体的にどんな風に活用できるのかまでをインロトで紹介する構成にしています。

総論を先にしっかりと組み立てて、時間を割いて説明することは学習者・閲覧者が効率よく知識を獲得するための土壌づくりだと言えます。

知識を提供する側はどうしても各論・詳細・具体に重点をおいて構成しがちです。
けれども、学習者にとってはまず総論・全体・抽象がしっかりと説明されているかどうかこそが重要な道標になります。

特に今回の中立では

  • これはなにか(What)
  • なぜこれを学ぶのか(Why)

この2点を意識的に学習の最初の最初に伝えるように構成しています。

この点が押さえられていると、知識がややこしくなるフェーズに入っても学習者がゴールを見失わずに学び続けられます

今回、新・中立プロジェクトのお話としてご紹介しましたが、広く様々な場面で共通することだと思うので、ぜひ皆様のお仕事でも活かしてみてくださいね!