「当たり前」が生み出すジェンダー・ハラスメント

1989年、日本で初めて職場のセクシャル・ハラスメントに関する裁判が起こされて以降、2000年代に入ってパワハラ(パワー・ハラスメント)、マタハラ(マタニティ・ハラスメント)、アルハラ(アルコール・ハラスメント)など、様々な「ハラスメント」が取り上げられるようになりました。

実は、私たちが生まれた時からずっと人生をともにしている「性別」についても、セクシャル・ハラスメント以外に、ハラスメントと呼ばれるものがあるのをご存知ですか?
それがジェンハラ、ジェンダー・ハラスメントと呼ばれるものです。

私達にとってあまりに当たり前の存在である「性別」。
当たり前だからこそ私達の中には様々な固定観念が存在しています。
その固定観念を相手に押し付けているように感じさせてしまうと「ハラスメント」となってしまいます。

自分のなかの思い込み、先入観によって起こるハラスメントは、その思い込みや先入観に気づくことで発生を防ぐことができます。
また、相手にも思い込みや先入観があるのだと気がつくことで、必要以上に不快な思いを増幅させずに済むことができます。

今回は、OMYOGAのRYT500カリキュラムで「ジェンダー」を担当する筆者の視点から、ジェンダー・ハラスメントとはなにか、どんな背景から起こるものなのか、他のハラスメントとの違いはなにかお伝えしてみようと思います。

ジェンダー・ハラスメントってなに?

ジェンダー・ハラスメントは、性別に対する社会的なイメージ、先入観を背景として起こるハラスメントです。
個人の特性や能力ではなく、「性別」という一つの属性によって、相手に特定のあり方を強要するような言動を指します。

ジェンダー・ハラスメントの具体例としては、このようなものが挙げられます。

  • 「男のくせに」「女のくせに」「男らしく」「女らしく」等の言葉を用いる
  • 職場で女性社員だけが、お茶汲みをするよう求められる
  • 男性が子どものために休んだり定時で退社したりすると、「情けない」「男らしくない」等と言う
  • 男性は「さん」付けや役職で呼ぶのに、女性は「ちゃん」付けや下の名前で呼ぶ
  • 男性は論理的、女性は感情的等と決めつける

セクシャル・ハラスメントとの違いは?

セクシャル・ハラスメント、セクハラとの違いは、その人の性別のどの側面に対して行われているハラスメントだと受け取られるかです。

セクシャル・ハラスメントジェンダー・ハラスメント
自身の性的指向を背景として、相手を(主に身体的に)性的対象として扱っているように感じさせる言動社会的性役割を始めとした、性別に対する社会的な思い込みを相手に押し付けるような言動

ハラスメントは受け取り手の感じ方次第なので、同じ言動であってもセクシャル・ハラスメントと受け取られるか、ジェンダー・ハラスメントと受け取られるかが異なるケースもあります。

例えば、職場の女性に対して男性上司が「女性はやっぱり髪が長いほうが素敵だね」と発言したとします。
Aさんはこの発言を、「髪の長い女性を魅力的に感じている」と言われた、恋愛対象(=性的対象)として見られたように感じて、セクシャル・ハラスメントだと捉えました。
一方Bさんは、「髪が長い=女性らしい」という「らしさ」の押し付けだと感じて、ジェンダー・ハラスメントだと捉えました。

どちらの捉え方も誤りではなく、どの側面からこの発言を受け取ったかが異なるだけです。

性的指向とは

 

セクシャル・ハラスメントは、性的指向を背景とすると書きましたが、性的指向とはなんでしょうか。

性的指向は、「どの性別に対して性的魅力を感じるか」、単純に言い表すと「どの性別が恋愛対象か」です。

先程の例に上げたAさんの場合は、上司が「髪の長い女性を(恋愛対象として)魅力的に感じる」と発言したように捉えたために、上司の発言をセクシャル・ハラスメントと捉えました。

ジェンダー(社会的性)とは

一方で、Bさんの場合は、この発言をジェンダー・ハラスメントだと捉えました。
ジェンダー(社会的性)とは、社会的な規範と性差を指し、社会的にどんな振る舞いやあり方を期待されているかを指します。

例えば、

  • 女の子はピンク、男の子は青
  • ショートヘアーはボーイッシュだ
  • 泣くのは男らしくない

こういったものは文化、社会を背景として作られた性別に関する思い込みです。

服装や髪型といった容姿から、感情表現や発言といった振る舞い、ライフスタイルなど、社会的に規定された性差は多岐にわたります。

Bさんは、上司の発言を「髪が長いのが女性らしい(=髪が短いと女性らしくない)」と受け取り、上司の思う「女性らしい」のイメージを押し付けられたように感じ、ジェンダー・ハラスメントだと捉えました。

一言「性別」と言っても、私たちは生物としての身体の特徴、自身の認識、ファッション、振る舞いなど性別を様々な側面から認識しています。
同じ「性」に関わるハラスメントであっても、どの側面から「性」を捉えているかによってハラスメントの種類が変わってきます

ジェンダー・ハラスメント=性差別?

職場で女性社員だけがお茶汲みをするよう求められるなど、性別によって違った仕事をするよう求められることもジェンダー・ハラスメントの一つとして紹介しました。
では、ジェンダー・ハラスメント=性差別なのでしょうか?

この2つはイコールの関係というよりは、性差別はジェンダー・ハラスメントの一部だと捉えるのがより正確です。

差別とはなにか

差別とは、特定の属性を持つ個人やグループに対して、その人の能力や個性に関わらず、その属性を理由にして待遇・取り扱いに差をつけることを指します。

女性だからお茶汲みをしなさい(男性はしなくていい)
男性だから力仕事をしなさい(女性はしなくていい)
というのは「性別」という属性を理由に、その人の仕事に差をつけているので、性差別に該当します。

ハラスメントとはなにか

ハラスメントとはなにか、全米ヨガアライアンスの定義を参考に見てみましょう。

ハラスメントとは、歓迎的に受け取られない言語的または非言語的な行為のことであり、以下のような場合をさす:
(i)その行為が、その人を否定したり、敵意や嫌悪感を示したりして、その人の仕事、勉強、その他の活動を不当に妨害する目的や効果がある場合
(ii)不快な行為に耐えることが、関係を続けるための条件になる場合
(iii) その行為によって、誰かが威嚇、敵対、虐待を受ける環境を作り出す目的または効果がある場合

ハラスメントには、蔑称、中傷、名指し、否定的なステレオタイプ、侮辱、脅迫、嘲笑、脅迫的または敵対的行為、中傷的ジョーク、保護特性に基づく個人または集団に対する敵意または嫌悪を示す書面または図画の表示が含まれる。

(Yoga Alliance Anti-Harassment Policy 英語原文、筆者訳)

つまりハラスメントとは、相手を不快にさせたり、威圧したりする効果のある言動全般を指します。

「男のくせに」「女のくせに」「男らしく」「女らしく」といった発言をすることにより、相手が不快に感じたりしたらその発言は「ハラスメント」に該当します。
一方で、この発言自体によって待遇に差をつけているわけではないので、性差別には該当しません。

ハラスメントは、性差別を含む広い範囲の非歓迎的な言動といえます。

ハラスメントの背景にあるもの-バイアス-

ジェンダー・ハラスメントが起こる背景には「バイアス」があります。
バイアスとは、「偏見」「先入観」や「思い込み」のことです。
文化・社会的に作られた既成概念を基に作り上げられた固定観念であり、生まれ育った環境や、年代によっても異なります。

自身の中の個人的な価値観であるにも関わらず、それが相手にとっても共通認識であるかのように振る舞ったり、相手に自分の価値観に合わせるよう求めるような言動をとると、その振る舞いがハラスメントへとつながっていきます。

ハラスメントにブレーキをかける重要な要素の一つが、自身の中のバイアスへの気付き
自分の中にある「当たり前」の価値観への気づきです。
それを「当たり前だ」と思っていることに気がつくことで、発言や行動といったアウトプットにいたる前に一度立ち止まることができます。

また、自分の中にバイアスがあるということへの気付きは、相手の中にバイアスがあることへの気付きでもあります。
相手の発言を不快に思ったり、傷ついたりしたときに、その発言の裏にバイアスがあるのだと気がつけることで、相手が自分を攻撃しようとしている、意図的に傷つけようとしているのだという敵対モードに入ることを防げます。

まとめ

ジェンダー・ハラスメントとは、性別に対する自身の先入観や、当たり前を相手に押し付けてしまうことで起こるハラスメントです。

その人の性のどの側面に対しての言動だと受け取られるかにより、同じ言動であってもセクシャル・ハラスメントと受け取られる可能性もあれば、ジェンダー・ハラスメントと受け取られる可能性もあります。

ハラスメントが起こる背景には、「偏見」「先入観」といった個人の中のバイアスがあり、バイアスはすべての人の中に存在しています。
そのバイアスを、実際に言葉や態度に表した結果、誰かを威圧したり、悩ませたりすることがあれば、それはハラスメントになります。

自身の中にあるバイアスに目を向け気がつくことで、知らず知らずのうちに自分の言動で相手に嫌がらせをしてしまっていた、という事態を防ぐことができます。
また、自分がハラスメントを受ける側になったときにも、相手の中にもバイアスがあるのだと気がつくことで、必要以上に嫌な思いを増幅させずに済みます。

「当たり前」に気がつくことで誰かと自分を傷つけるのを防ぐことができる、「気づいて楽に生きられる私」始めてみませんか?