ヨガをする人であればぜひ一度は目を通してほしいヨガスートラ。
この本は実際はとても薄い小さな本なのですが、これを解説している本というのは沢山あります。
そして、どれもだいたいしっかりした厚みのあるボリュームがある本となっています。
初めて読んだ時は、全然わからなくて、泣くほどでしたが。笑
今では読むたびに響くところが違っている、というのが面白く感じます。
さて、最近講座の中で少し話題になったことを再び掘り下げてみます。
Ⅱ-3 無知、我想、執着、憎悪、生命欲が、五つの障害[煩悩]である。
ヨガスートラではある一節でこのように書かれています。
そして、言われてみれば確かにね、ということが昔の時代に言葉にされていたと思うと、頭が上がらない気持ちになります。
さて、本題ですが、私たちがサマディ、いわゆる悟り、というような状態になるにはこれが障害になるよ、ということです。
きっとこれって、悟る、というようなところまでいかずとも、幸せになるという道を歩む上では障害になってくるだろう、と思います。
そして、全ては「無知」というところから他の4つが生まれてくる、と言われています。
無知という畑にそれらの作物が育つように。
無知以外の4つ、というのは心を動かしたり、乱したりする感情につながっていますね。
ここで考えたいのは、これらの感情や感覚は純粋な私自身でしょうか?
それらの感覚がなくなったとき、私たちは私ではなくなってしまいますか?
答えはおそらくNO、ですよね。
では私の本体ってなんでしょう??
心なのか?
心を感じるために肉体や脳があります。
でも脳や肉体だけでは自分を自分と認識できません。
どちらが欠けていても、今の自分自身と認識する自分はいない、ということになります。
でももしかしたら輪廻転生する、ということを信じていたら、肉体がなくなっても、魂は永遠、と考える人もいるかもしれません。
(アジア人は割とこの考えをどこかでもっている人も多いそうな。)
私たちはよく、あたかもその感覚自体が自分だと、思いがちです。
喜怒哀楽や、お腹が空いた、私は具合が悪い、など「私が~~だ」と様々感じます。
が、ただそれって、感覚器官や、感情を感じる心が動いている”現象”に過ぎないのです。
それをいちいち拾ってフォーカスしているのも、自分。
それの痛みをわざわざ何度も感じているのも自分。
選んでいるのかもしれません。
今、わかるわ〜と思っている人もそれに気づいていなかった頃があると思います。
ヨガで気づく人もいれば、他の勉強をしていてハッと気づく人もいたかもしれません。
しかし、その感情に振り回されているうちや、知識を得る、無知からの脱却なしに、それらが”現象”である、なんて思いもできません。
それ自体が”良い”とか”悪い”とかジャッジしがちです。
だから、無知の畑にはこれらが育つのよ、ということです。
人によって様々な解釈がなされていますが、
あなたはどう思いますか?
こんな風に、講座内では「自己探求」ということを深めていきます。
スワディヤーヤというヨガの練習の一つ。
まさに「自己探求」なのです。
これらを用いて講座内でも自分はどのようにあるのか、どうありたいのか、そんなことを考えるきっかけになっていったら、これを知った次の瞬間から少しでも、よりシンプルに生きられる時間が始まったらいいなあ、と陰ながら思っています。
RYT200担当講師Airi(坂本あいり) https://omyogagroup.com/ヨガ講師紹介/airi
◆LINE@
https://line.me/R/ti/p/%40zil6834x
https://www.instagram.com/airiskmt
https://www.facebook.com/airi.sakamoto
◆ブログ
#yoga #ヨガ #ヨガインストラクター資格 #全米ヨガアライアンス #ヨガ哲学