今日は、私の好きな詩をシェアしたいと思います。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それはしかたのないこと。
フレデリック・パールズ/「ゲシュタルトの祈り」より
ゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩であると言われています。
初めて見たときに、これってすごくヨガの態度を示しているなあと私は感じました。
大切な人だからこそ、大事な人だからこそ、執着や嫌悪を手放した態度で自分がいること。
どんなに近しい相手だとしても、相手も一人の別の人間。
出会えなくても=離れたとしても
仕方のないこと。
仕方のない、というと悲観的かもしれませんが、それによって自分自身が動かされすぎないことなのだと理解しました。
ヨガを勉強していると出会う言葉に
「ヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハ」
という言葉があります。
「ヨガとは心の作用を止滅するものである」
という意味です。
仕方ない、というのは諦めではなくて「平静でいる」ということなのではないでしょうか。
そして、誰かのために頑張りすぎてしまって、自分が疲れてしまっている人は、自分のために幸せを選んでもいいのではないでしょうか。
(でも決して誰かを貶めたり、誰かを傷つけて得られるような方法ではないです。)
みなさんはこれを読んで、どんなことを感じましたか?
私がこの詩で、ほっとしたように、
この詩が、知恵が、誰かの役に立ちますように。