<瞑想の種類>
瞑想には「静的な瞑想」方法と、「動的な瞑想」の2タイプがあります。 どちらも心をコントロールすることに変わりありませんが、外的なものと内的なものにわかれます。
例えば、いつも同じ道を通って、面白くないと思っているとする。 「静的な瞑想」は、面白くない。と思う気持をコントロールすること。 「動的な瞑想」は、いつもの同じ道を行く行動を変えること。
<伝統的な瞑想はこれ!>
静的な瞑想は内的に働きかけるもので、 自己の感情や思考を良い意味でコントロールすることや、 間違えた智慧を手放していくことで心の安らぎ、穏やかさを得ていきます。 深くいくほどに超個人的意識に繋がっていき、 ユングでいうところの集合的無意識のフィールドへ向かいます。 他者の霊体や宇宙と結合していくとてもスピリチュアルな方法です。 まさしくヨガの最終段階!なのです。 <内的な真理についてこちらの本が面白いです☆→「個を越えるパラダイム> <人間はわれわれが<宇宙>と呼ぶ全体の一部 アルバート・アインシュタイン>
<簡単にいうと、コミュニケーション力があがる?>
もう一方の動的な瞑想は、外的に働きかけ、行動・言葉・態度などを変えます。 もし社会との繋がりがなく個で生きているのなら、不要なのかもしれません。 自分らしくありながらも平和な共存生活を行うために必要なもので、 認知行動療法、また自己啓発などもこれに含まれます。
わかりずらいですが、絵にしてみました。
<私の瞑想 そりゃ光らんわ・・>
私が初めてした瞑想は、静的なタイプでした。 「鍋の底から、泡がでては消え、でては消えを繰り返しそのうちにその泡もなくなる」という 師からのフレーズが、わけもわからぬまま、それでも続け、 おさぼりしたり思い出して急にやったり、 何も変わらない。本当の瞑想はどこにある?光は見えない。クンダリーニも上昇しない。 チャクラが閉じている!と悩んだ時もあったけど、 数年かかり、ようやく理解。 瞑想とは、続けてやればそれぞれに答えが待っている。 続けるほどに、自己の内面は変化していく。
そして、続けるほどにわかることは、 共存生活の中での自己変容には、 静的(内的なコントロール)と動的(外的なコントロール)が必要で、 自己の状態にあわせ足し引きをするのがいいということです。
<で、瞑想って?>
瞑想とはなんですか? よく聞かれますが、 それは”自己変容”のためのツールです。 他の言葉では”プチ解脱”とか”キヅキ”とか・・・。 なりたい自分にしてくれるもの。 それが瞑想です。
あなたのなりたいものはなんですか?
目的があって、瞑想をしていくうちにそれに近づいていってたら、 なんとなく瞑想の効果がわかるかもしれません。 人によりけりだけど、少なくとも3年は続ける方がいいと思います。
<注意!> なんでも一緒ですが、使い方を間違えるとよくありません。 瞑想も同じくです。
○もちょっと詳しく知りたい方は下記へどうぞ。
<内的瞑想の先に・・・>
内的瞑想は深まると、無意識の集合体を経て、最終的に解脱し、 「個と全体を越えた」ものになります。 「越える」。ではなく「越えた」もので、その後に続く名詞はもはや存在しません。 一般的な言葉ではプルシャやイーシュヴァラと言われたりしますが、 言葉では例えられないものです。 ここには外的なものは存在しません。 ですが、戻ってくることはできます。
<ありのままの私>
内的な瞑想と外的な瞑想は、 互いに関わりあっていて、相乗的に働き連鎖反応を起こします。 いわゆる正のスパイラル。”プチ解脱”の繰り返しです。 他の言葉でいうと、”自己変容”や”キヅキ”といったり、なんでもいんです。
これを続けていくうちに、「私を良く理解し」「私が理想とする私」に変わり、 「ありのままの私」でいられます。
その為に、外的環境や内的環境を変えて、調整することもできます。
<グラウンディングしよう♡>
一般的にヨガのアーサナでいうグラウンディングとは違い、 精神と身体が安定していくグラウンディングというのは、 プチ解脱の段階で起こります。 内的に深いところで安定した「私(自我)」と、外的に対応できる「私」が近づくごとに 地に足がつき、自然とグラウンディングしていきます。
<人間界を楽しむ>
最後に、私はこの世界が本当にあるかどうかわかりません。 ですが、今はこの世界に生きています。 この世界で生きなければならない。
とてもスピリチュアルな世界に現れた物質世界。 私はそこを旅しています。 生きている内は、この世界を楽しもうと思っています。
namaste